メトロノーム

2003年10月26日
 私が小さかった頃、私は両親の都合で2度引越しした。一度目の引越しは、私がまだ幼稚園の年中組だったころだと思う。
 「思う」というのは、子供だった私には、今感じる時計の時間ではなく、日が落ちれば家に帰らなければならない時間、母親が起きれば幼稚園に行かなければならない時間、台所からおいしい料理の匂いが漂ってくれば食事の時間といった、人間の生活が刻む時間の中で生きていたから、私には正確な時計の時間というものは無縁であり、そのとき起こった事は、今生きている時間でどのあたりのことだったのかというのは正確にはわからないから。実際に両親に聞けば判るだろうが、私はそんなにこの出来事に興味はない。

 一度目の引越しの理由はこうだった。
 当時、父親は修士までしか学位を取っておらず、今後の仕事のためにはドクターの資格が必要だったらしい。そして、ドクターの資格を取るためには内地留学をしなければならず、内地留学先の大学はそのころ住んでいた家から通うには遠すぎたために一時的に留学先の大学の近くに引っ越さなければならなかった。
 本当は、単身赴任という形をとることも出来たらしい。しかし、小さな私を母親一人に任せておくことは心配だったらしく、父は家族全員で引っ越すことを決めた。
 そのため、私は親しかった友人に別れを告げることとなった。
 私はそのころの記憶が、もうほとんどないので私の周りにいて、遊んでくれた人たちのことは思い出せない。親の話しによると、私には親しい友達がいたらしいが、そのほとんどの人の名前も、顔も覚えていない。
 ただ、今でもよく覚えているのは、ミキちゃんという女の子の家に行くためには、恐ろしく怖い声で吠える犬の前を通らなければならず、その犬が起きていると、私はいつも道を引き返して帰ってしまったということ。その犬は私にとっては当時最大の敵であったに違いない。父親が私を叱る声よりも、数千倍その犬の吠える声が怖かった。

 父親は、そのころはまだよくいろんなところに連れて行ってくれた。
 家から歩いて15分くらいのところに地方でも有名な公園があったので、父と母、私の三人で休日はピクニックによく行った。その公園は山の上にあったので、公園に着くまでの間、山登りも楽しんだ。でも、小さな私には永遠に続く坂道を登ることなど楽しくもなんともなく、ただ退屈なだけだったので、「疲れた」と言ってはいつも母親の背に抱かれて寝ていたらしい。

 父親に初めて殴られたのは3歳の夏だった。
 彼は、私に数字を覚えさせようとした。が、当時まだ3歳の私には、そのようなわけのわからないものは理解できず、なかなか覚えられなかった。何度も何度も詰まっているうちに、だんだんと父親の方も苛立ってきた。また、父親の前で正座させられていた私は、足のが痛くて泣きそうになってきた。
 もう、100回は詰まったと思う。父親は自分が数えようとするのを静止して、私の頬を平手で叩いた。
 一瞬何が起きたのか理解できず、その後に襲ってきた痛みで私は泣いてしまった。母は父のしたことに怒った。その後父と母は喧嘩をした。その晩、父は学校の実験で帰ってこなかった。そして、父のいない家の風呂場で私は1から100まで数えなおしてみた。そしたら、嘘のように簡単に数えられてしまった。なんだ、できるではないか、私。

 私は、1から100まで数字を数えると、その時の痛みを今でも思い出すことが出来る。当時は、暴力を奮った父を恨んだ。子供に対してそのような仕打ちをする父は間違っていると今でも思う。でも、一方で私は父に感謝している。少なくとも、私に何か大切なことを教えようとしていたというのは理解できるからだ。ただ、そのやり方はあまりよくないと思うよ、父さん。

 その後、父からは数え切れないほどの暴力を受けることになるが、それはまた別の機会に話すことにしよう。

 少なくとも、私はこの「数字事件」のせいで人から暴力を奮われることを非常に恐れるようになった。痛い想いをすることを避けるようになった。
 だから、私はいつも喧嘩になったら逃げたし、落ちると危険なウンテイや、当たると痛い縄跳びなんかは絶対にしなかった。活発的に遊ぶ男の子たちとは仲良くなれず、女の子とままごとや人形遊びをするのが大好きだった。少なくとも、ままごとや人形遊びで死ぬことはないのだから。

 また、本を読んでもらうのも好きだった。
 父はよく仕事先から「日本昔話」を持ってきてくれた。寝る前に母親はいつも私の持ってきた本を読んでくれた。
 私は、いろんな本を読んでもらうことで自分の頭の中に浮かんでくる景色や人物達を眺めては自分もそこにいるような錯覚にとらわれた。
 その感覚はすごく新鮮で、私はそれが大好きだった。だから、母親が疲労で寝てしまうと、それを必死に起こして読ませ続けた。母にはそれが地獄だったに違いない。私は、天子の顔をした悪魔だったに違いない。そのせいか、母はいつも眠たそうだった。


 やがて、生まれ育った故郷に別れを告げ、私は父親の内地留学先に引っ越すことになる・・・


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 今日から、連載小説を書いてみることにしました。というか、そんなことする暇があったら勉強して、プログラム組めよという声が聞こえて・・・ごめんなさい、ごめんなさい。殴らないで・・・
 いつまで続くかはわかりませんが、少しずつ書いてみようと思います。

 今日は、友人のコンサートへ行ってきました。友人はユンフォニウムという楽器を吹いているのですが、ごめん。よく聴こえなかった。
 でも、曲はすごくよくて、終始鳥肌が立っていました。行ってよかった。

 さて、プログラムの進行状況ですが、なんもやっておりません。ごめんなさい。
 月曜からゆっくりとはじめるつもりです。
 まぁ、今週は本当にいろんなことがありましたから。先週からはもう1年くらい経ったくらい自分の気持ちが変化したと思います。
 気持ちの整理をつけるにはもう少し時間がかかると思いますが、だいたいもう大丈夫です。

 さて、乙一さんのZOOという小説を読み始めたのですが、これもいいです。彼のためにみなさま買うことをお勧めします。まぁ、だまされたと思って買ってあげてください。見事にだまされますから(嘘)。

 では、今日はこのへんで。

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