生きて、なお・・・

2004年1月17日
 個を喪失し続けるこの世界は、絶望?

 人間は、生きていく限り変わり続ける。1秒たりとも同じ瞬間はなく、常に流動的である。
 そう考えたとき、その一瞬の時がどれだけの価値を持っているのか…その価値の重さに気づく人は少なくないと思う。

 この前、人間は死に続けると書いた。もし、死というものが常に自分に対して起こっていることで、「時の喪失=その瞬間の自分の死」と考えるならば、これは正しいであろう。でも、それなら、生きているというのは意味的には存在することができなくなる。なぜなら、「生きている≠死んでいる」だからだ。
 死に続ける自分には生きることは不可能であるということだ。

 しかし、死に続けていて現実には生きている。なぜか。それは、人間は死ぬことで生まれ変わるから。
 人間が死んで、生まれ変わる。それが1サイクルで、永遠と自分という「個」が消えるまで永遠と繰り返される。

 そう考えると人間には生きているうえで「死」と「生」が平等に存在することがわかると思う。

 では、死に続ける自分の人生は絶望?生きると言うことは喪失し続けるということなのか?いや、違う。
 死とともに生が生まれるサイクルが続く限り、それは新たな個の獲得とその前の個の喪失が平等であると考えれば、喪失は0ではないのだろうか。もし、質的なものよりも量的なものを考えるのであれば、喪失は限りなく0に近い上にもしかするとプラスかもしれない。
 ただ、やはり質的なものを考えると損失していると考えられだろう。なぜなら、子供の頃の考えていたことは大人にはわからない。

 う〜ん、ここまで書いて、自分でもよくわからなくなったのでやめよう。続きはまた今度…

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