またまた、冬目 景先生の作品。もう抜けられません。

羊のうたとは違って、明るい感じの作品。概略は、のびきらない恋の物語とでも言うか…ハルとリクオとシナコの三角関係が四角、五角と増えてゆくお話(笑)世間ってせまい。

とりあえず、1〜3巻があったので買ってみた。で、なぜ1でも3でもない、真ん中の2巻のレビューを書こうとしているのか。
2巻の一番最後に、芸大に入ったのに、途中で中退してしまった予備校生の話が描いてあるのが理由。

その予備校生は、最後には予備校もやめてしまうのだけれども、そのやめた理由というのが気になった。その人が、直接やめた理由をほかの人に語ったわけではないのだけれども、その人の心情を上手く表現しているなと思った一文があった。

「原点ていうのはつまり 技術もなんにも無くても
絵を描きたかった頃の自分のこと
次第に見失って それを忘れそうになるのが
彼女は嫌だったんだ」

受験から開放されて、受験のための絵じゃなくて、今度は自分の好きな絵を描きたいと思い、そう考えたときに好きな絵ってなんなんだろうと考え込んで、描けなくなってしまった彼女。

好きなものを描く、それがしたかったんじゃなくて、大好きな「描く」という行為がしたかったんだろうと思う。だから、好きな絵を描こうと思っても、その絵のイメージが出てこない。だから描けなくなった。

そして、自分の中の疑問は、「何で描けないんだろう」から、「何で描くんだろう」と変化し、悩んだ末に、原点に戻ることで、「好きだから」描くんだという答えを得た。
そして、その答えを得て、彼女は、多分満足したんだろうと思う。
彼女は、この後、すぐに予備校をやめてしまった。

ここからは、自分の中の話なのだけれども、
色々な絵を描いてゆくうちに、沢山の技術や知識の中に、自分の「原点」が埋もれてしまい、いつしか、「好きだから描く」という「好きだから」の部分の理由を求めようとしていたのかもしれない。
でも、「好きなのに理由なんて無い」なんて誰かが言っていたように、本当にそのとおりで、「好き」の根拠って、「好き」そのものとでも言うのか、純粋に「好き」なのであれば、それそのものを説明するのは無理なんだと思う。
つまり、「好き」っていうのは基であって、それを基に何か別のものが構成される。これ以上分解できない、アトムのような存在だと自分は思っている。

だから、「好き」な理由なんていくら考えても「好き」以外には考えられないし、それ以上でもそれ以下でもない、純粋な根拠であって、そして、それが答えなんだと思う。

プログラミングに関しても同じ。時々、なんで自分がこれをやっているんだろう。なぜ、この仕事が自分は「好き」なんだろう?と思ったりするけれども、それは、「好き」だからなんだと思う。

今、自分は「好き」の本当の理由を得た気がする。

そう、「好き」だから「好き」なんだと。

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