Hornet再考

2005年9月9日
一応、学校で色々と試していたら、後輩から一言「Luaって使いにくいですねー」といった感じのことを言われた。beginで始まってendならまだしも、beginが無くて突然endで終わるのだから分かり辛いとのこと。確かに色々と見方があるんだなーとちょっと感心した。

今まであれこれと組んで来たが、スタッフの人に色々と忠告されて目が覚める思いだった。毎回色々と注文が来るわけだけれども、それに対応して、あれこれと実装するのはとても楽しかったし、辛いものでもあった。
たまに、今まで自分のやってきたことを全否定されるような厳しい意見もあったけれども、それはそれで悩むのも楽しいうちに入っていたと思う。

ただ、よくよく考えてみると、現在のHornetの形を見て、それでよかったのか?と思える部分がある。
それと、人に言われてあれこれと再考したが、それ以前に頑なに守り続けなければならない部分もあったのではないだろうかということも考えた。

Luaは高速だとは言われるが、TJS2と比較してどうなのか。
実質、Luaの高速性は、その言語仕様の簡易さから来るものだ。そう考えたとき、TJS2と比較して機能と速度というトレードオフの関係にあるもののバランスはどうなのか。TJS2のほうが、時代から考えれば実装に適しているのではないのか?

僕らプログラマは、いつの時代も常に新しい優れた技術を取り入れ、常に最先端を行かなければならない。
そう考えたときに、僕らが行っていることは時代に逆行しているのではないか?パフォーマンスを気にしすぎて、最も重要であるゲーム性を無視していないか?
昔感動したゲームにめぐり合えた時に必ず思った「自分も作ってみたい」というそういった純粋な気持ちを、自分は忘れてそれ自体では何も成さない技術的なことに走りすぎていないか?

前の日記にも書いていたが、製品ではなく、商品を作れと。
正に、今やっていることは、正に製品を作っていることそのものだと思う。存在しない架空の客を相手に、あれこれ考えて実装したところで、それは全く意味の無いことだ。

そもそもHornetは何かを表現するための手段でしかなく、いかに技術的に凝ったところでそれはプログラマのオナニーでしかない。重要なのは、いかに自分の思ったことをそのまま相手に伝えられるかだ。その手段を僕らは求めていたのではないのか。そして、自分はその手段を自分自身のために用意したかったのではないのか。

人それぞれ、様々な考え方がある中で自分が貫き通さなければならないものがある。そういった、最も重要な部分は、時々開発と言う暗雲の中で見失ってしまう。
だが、そんな時に雲の隙間から光を届けてくれる言葉の数々は素晴らしいものだ。感謝したい。

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