恋愛の価値観

2006年1月24日
キタノさんの日記を見てから、微妙に気になっていた人の恋愛に対する考え方について書いてみたいと思います。

恋は盲目とは言いますが、実際に恋愛をしていると本当に盲目だったことにいまさらながらに気付きます。例えば、人前でいちゃついたり、背徳感を味わいたくてお外でやったりとかです。若気の至りというのか、まぁ、周りが見えていなかったんですね。日本人は奥床しいのが良しとされている風潮は今は薄れてきているので人前でいちゃついても問題は無いとは思いますが、それを見て「むっ」と来る人もいるわけで、ましてや外でズボンを下ろして…など以ての外(猥褻物陳列罪で捕まりますので)なのであまりよろしくないわけです。
歳を取るとそういったことは段々と無くなって来るのですが(一部例外がありますが)、それは自分の感情を自分でコントロールできるようになるからと言われています(例えば、いきなり発情したりとか、いきなり怒り出したりとかしなくなるわけです)。

「恋愛は最高だ」と言う人がいて、さらにその価値観を人に押し付けようとする場合があります。
「最高である」という価値観はその時のその人の価値観であって、他の人にはそれが受け入れられない場合もある(例えば、彼女と別れたばかりだとか、そもそも恋愛よりも仕事が好きだとかいう場合)わけです。そのことを忘れてただただ恋愛の良さを語り続ける姿は、正に「盲目」だと自分は思いました。
愛情に関しても同様で、それは人それぞれ、生まれも育ちも違うわけですからどういった感情を以て愛情というかには違いがあるわけです。それを自分の主観で決め付けて相手に愛情を語るのは、これも「盲目」だなと思うわけです。

実際の恋愛が常に良いことばかりかと言えばそうではなく、人生と同じで幸せもあれば不幸もあり、全てが全て良いわけではありません。もし相手に恋愛を勧めるのであれば、そういった部分を考慮した上で相手に判断を任せるべきではないかなと思います。
もちろん、自分が良いと思うのであれば相手にその旨を伝えるのは構わないのですが、それがただの主観だとウザがられるのは目に見えていますし…あんまりやらないほうがいいんじゃないかなぁと自分は思います。

そんなこんなで、結局自分は、主観だけで話をするような「盲目」な状態では、相手が納得できるような「恋愛」の説明はできんのだろうなぁと思うわけです。

もし相手に恋愛の素晴らしさを教えたいのであれば、「百聞は一見にしかず、百見は一験にしかず」であり、相手が自分で体験して自ら恋愛の素晴らしさについて気付くのが最も理想的であるため、とにかく、本当にわかってもらいたいならば相手が恋愛をして「よかった!」と言うまで待つか、もしくは言い続けなければならないわけです。
しかも、その「よかった」の内容が人それぞれ違うわけで、最後には意見が食い違ってループしだすこともあるので徒労に終ることがあり、結局大抵の人は相手に説くよりは相手が困ったら相談に乗ることにしているようです。
一見、面倒くさがりで冷たそうに見えますが、いちいち口で説明するよりはそちらの方が相手のために良いと自分は思います。実際のところはどうなのかわかりませんが。

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