百通は一抱にしかず
2006年3月28日日に二回も日記を書くのは初めてなんですが、とてもよい言葉が浮かんだので書いておきます。
携帯をわざわざポケットではなく、パソコンの液晶ディスプレイのスタンドの上に置いて、でも研究室だから着メロは迷惑だから鳴らないようにマナーモードにして、彼女のメールが1秒でも早く見れるようにプログラムを書いていても神経はディスプレイの下の携帯に注がれてる。
恋しい人に逢えない辛さを紛らわすためにメールをして、でもそのメールでは何百通出してもお互いの未来に対する不確かさは拭えなくて…言葉だけでは物足りなくて。
寝ても覚めても、頭には彼女のことしかなくて…
そんな時、メールは無力だと思います。だって、メールを何百通送ってどんな問答を繰り返したとしても、直接逢ってただ抱き合うだけで気持ちはこんなに満たされる。メールでは不安・不満がつのってゆくだけなのに、体と体の中心が触れ合うだけでこんなに満たされてゆく。
唇と唇を合わせるだけで、あれだけ言いたかった言葉は全て相手の体に吸い込まれるように抜けてゆく。
「百聞は一抱にしかず」
なんだか、そんな言葉を考えてしまいました。
といっても、一抱も一時的な慰めでしかなく、本当に必要なのはそんな不安の原因を根本的に解決するための「切り拓く力」だと思います。
少なくとも、相手に頼ってばかりでは恋愛とは呼びませんしね。昔の自分は上の文だけで完結していたような気がします。
そして、今の自分は、この文の後ろにもう一文付け足したいと思っています。
「百聞は一抱にしかず、百抱は一心にしかず」
ここで言う心とは、決心の「心」です。いくら体で抱き合って不安を紛らわせたとしても、その心が中を彷徨っている限りそれは誤魔化しに過ぎず、何時までたっても不安は消えません。
自らのあり方を自分で一つ心に決めることで、主観的にしか見れなかった自らの彼女への思いを客観的にとらえることができるような気がする。
のですが、実際はどうなのでしょうね。とりあえず、自分は一つ自らの目標を定めることで、今まで彼女べったりでいつも嫉妬に駆られていた自分の心が落ち着いたような気がします。
携帯をわざわざポケットではなく、パソコンの液晶ディスプレイのスタンドの上に置いて、でも研究室だから着メロは迷惑だから鳴らないようにマナーモードにして、彼女のメールが1秒でも早く見れるようにプログラムを書いていても神経はディスプレイの下の携帯に注がれてる。
恋しい人に逢えない辛さを紛らわすためにメールをして、でもそのメールでは何百通出してもお互いの未来に対する不確かさは拭えなくて…言葉だけでは物足りなくて。
寝ても覚めても、頭には彼女のことしかなくて…
そんな時、メールは無力だと思います。だって、メールを何百通送ってどんな問答を繰り返したとしても、直接逢ってただ抱き合うだけで気持ちはこんなに満たされる。メールでは不安・不満がつのってゆくだけなのに、体と体の中心が触れ合うだけでこんなに満たされてゆく。
唇と唇を合わせるだけで、あれだけ言いたかった言葉は全て相手の体に吸い込まれるように抜けてゆく。
「百聞は一抱にしかず」
なんだか、そんな言葉を考えてしまいました。
といっても、一抱も一時的な慰めでしかなく、本当に必要なのはそんな不安の原因を根本的に解決するための「切り拓く力」だと思います。
少なくとも、相手に頼ってばかりでは恋愛とは呼びませんしね。昔の自分は上の文だけで完結していたような気がします。
そして、今の自分は、この文の後ろにもう一文付け足したいと思っています。
「百聞は一抱にしかず、百抱は一心にしかず」
ここで言う心とは、決心の「心」です。いくら体で抱き合って不安を紛らわせたとしても、その心が中を彷徨っている限りそれは誤魔化しに過ぎず、何時までたっても不安は消えません。
自らのあり方を自分で一つ心に決めることで、主観的にしか見れなかった自らの彼女への思いを客観的にとらえることができるような気がする。
のですが、実際はどうなのでしょうね。とりあえず、自分は一つ自らの目標を定めることで、今まで彼女べったりでいつも嫉妬に駆られていた自分の心が落ち着いたような気がします。
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